【やばいしぬ】本能が逃げろ!と警告を発した瞬間【体験談】

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海外掲示板に投稿された、人生最大の『GTFOH(get the fuck out of here)一刻も早くここからずらからねば』な瞬間をまとめました

翻訳元:What has been your biggest “I have to get the fuck out of here as soon as possible” life moment? (あなたの人生で最大の『一刻も早くここからずらからねば』って瞬間は?)|reddit.com

1.

ダンス教室の外に友達と二人で座ってた時(当時どっちも12~13歳だった)、私たちより大柄の男二人が近くを通りかかった。公道だから人が通って当たり前だし、それは別に何とも思わなかった。

男の一人が近付いて来て自己紹介をし、握手を求めてきた。その時点で既に少し気味悪く思ってたんだけど、いつもなら出た後に自動で閉まるドアが(有り難いことに)開いたままになっている事に気がついた。私は男を激昂させないように握手をした。すると男は啜り泣き始め、こう言った。

「ごめんよ、放してやる筈だったんだ…本当にごめん、でも─」

私は大声で友達に逃げるように言い、ガッチリと掴まれていた自分の手を引き抜いて中に駆け込み、ドアを締めた。そいつらは警察が来るまでしつこく建物の周りをうろついていた。
あの人達が何を計画していたのかを、私が知ることは決してないだろうし知りたいとも思わない。

2.

まだ小さい頃、それ程離れていない場所で起きた火事を父親と一緒に見に行った。

前に警察署で働いていた父は、燃えているのが地元の花火倉庫なのでは、という自分の推測が正しいかどうかを確認しようと、現場にいた警官(元同僚)に近付いて行った。
父の読みは正しかった。それがまさに、『一刻も早くずらかる』事を父が決めた瞬間だった。

その後100~200メートルも行かない内に、全てがボカーン!その時の自分はといえば、こんなもん知るか!て感じで、自転車を放り出して走った。

衝撃波が街中の建物の窓ガラスを吹き飛ばしたのを覚えてる。
クールだったよ─それが自分に直撃するまでは。

これがその爆発の動画。23人が死亡した。
詳しくは”fireworks disaster Enschede”で検索。

3.

チェチェン、1995年のことだったと思う。明らかにそういう瞬間は沢山あったが、ダントツだったのがこれ。

当時滞在中のアパートに徒歩で帰っている途中、その区画全体が無人であるだけでなく道路から全ての車がなくなっていて、自分の前方6メートルくらいのところにカーペットが敷かれている事に気がついた。
何故カーペットがそんなところにあるのか、その下がどうなってるのか想像もつかなかったけど、とにかくすごく不審に思ったし、自分の第一感は当然ながら逃げる事だった。

踵を返した瞬間、誰かが遠くから自分に向けて発砲した。おそらくスナイパーだと思うけど、もっと近くからだった可能性もある。その後、自分を追って捕まえろと叫ぶ男の声が聞こえてきた。声は遠く、捕まえるのは不可能だという事は彼らにもわかっていた。

あのカーペットだよ…あれを忘れる事は絶対にないだろうな。一番ありそうだと思う推測は、あのカーペットの下には自分みたいな人間を陥れる為の穴が掘られていて、捕まえた後にレイプ・拷問、とにかく何でもやりたい事をやるつもりだったってこと。紛争中のグロズヌィは、イカれた略奪者や強盗だらけだった。

4.

ある夜、カナダ北部のヤバい街でバーから出ようとしていたところ、数人の女の子から(その子たちの車で)パーティに行かないかと誘われた。
後部座席に乗った自分の後からどこからともなく現れた8人が更に乗り込んで来て、自分がなんとか抜け出す前に、ベロベロに酔っ払った『運転手』が狂ったような運転で車を発進させた。フラフラと車線をはみだしながら、凍った道路をものすごい猛スピードで進んで行った。

あまりに多人数で詰め込まれていてあまりよく見えなかったので、自分はただ目を瞑り、甘い死の解放を待った。

5.

高校の時、町外れの小さなピザ屋で配達のバイトをしてた。住所の9割が、マップクエスト(オンラインの地図情報サービス)で情報を引き出せないようなとこだ。

注文が来て、自分が取った。男は道を教えてくれた。
指示通りの方向へ森の中の泥道を1マイル(約1.6km)進んだ。俺は速攻で怖気づいた。

焼け落ちたトレーラーみたいなところに近づくと、巨大な鳥を肩に乗せた男がポーチに立っていた。ピザを渡すと、奴は俺を魂まで見透かすように凝視しながらドル札を数えだした。

「俺の鳥を触りたいか?」

「いや、結構です」

「レイシストめ」

そいつはチップをくれなかった。やな奴。

6.

テキサス州ウェーコにあるモーテルで警備員をしてた。他の夜よりも何かきな臭く感じる一夜があった。

悪い予感がしたんだ。ある部屋では麻薬のガサ入れ。従業員が殴り合いの喧嘩。少なくない数の売春婦。
その夜の勤務中に辞めた。
自分の交代として入った男が刺された。

7.

ある夜仕事から帰る途中に、一人の男が私の肩に手を掛けてきた。
振り返ると、「これからお前を先の尖った鉄柵の上に裸で乗せてやる」とその男は言った。

「結構です」私はバカでかい声でそう言って、早足で立ち去った。それでうまく行くとは思わなかったが、そいつは私の後をついては来なかった。

8.

数週間前に一人旅で日本に行ってた。
午前3時くらいに渋谷で道に迷ってしまい、駅を見つける必要があった。何やら胡散臭いナイジェリア人の男が突然現れ、駅までの道を教えてあげると言って来た。

うん、とまさに頭の弱い女のように私は答えた。男は全然逆の方向に私を連れて行き、最終的にホテルに行き着いた。
そいつは私に惚れただの、私と夜を共に過ごしたいだのとふざけた事を長々と語りだした。

速攻でずらかって代わりにタクシーを捕まえた。

9.

これは自分が14歳の時の、ロシアでの話。田舎(うちはモスクワ以外に、文字通り人里離れたところに避暑用のセカンドハウスを所有していた)で、パーティの後午前2時に家まで歩いて帰るのは良いアイデアだと思い込んでた。

歩いていると車が寄ってきて、見た目30代ぐらいの男が乗っていくかって訊いてきた。私は馬鹿なことに、「うん」と言ってその車に乗った。
うちの集落のゲートに近づくと彼(その地域の建設作業員だった)は車を止め、友達とのパーティに一緒に来たいか、と私に訊いた。

心臓が飛び跳ねた。
脱出計画を模索しようと車のドアに目をやった私は、内側のドアハンドルが無い事に気がついた。となると、ドアを開ける手段がない。この時点で私はお腹にまで心臓の鼓動が響くのを感じながらも、「いえ、ごめんなさい。ママが私を待ってくれてるの」と言った。

彼は不意にこう言った。

「まあ、母親っていうのは神聖な存在だからね。君は帰った方がいいな」

彼は車を出ると、ぐるっと回って来て私を降ろしてくれた。
それが私が一人きりでヒッチハイクをした最後になったわけだけど、レイプも誘拐も殺されたりもせずに済んで、私はめちゃくちゃラッキーだったと思う。

追記:「大多数の人は君をレイプしようとして外出してるわけじゃない、社会人がパーティに君を招待したってだけで、何も気味悪い事なんかない」と言う人達へ─当時私は13か14で、見た目も年相応だった。午前2時の田舎道で30代の男が十代そこそこの子をパーティに誘う、しかもドアハンドルがないってね……

10.

イラクの家族のもとを訪ねて行った時、ISISが街を乗っ取っていた。次の便でアメリカに速攻でとんぼ返りした。

この投稿へのコメント

家族は無事だったの?

投稿者返信

うん。ほとんどはドホークに住んでいて、モスールに住んでた家族もドホークの家族のところへ引っ越した。
クルド人民防衛隊に護衛されているから、大体は無事でやってると言えるけど、現在のクルディスタンでの生活は最低だ。
何もかもが高いし、数千人の難民が至る所にいて、ペシュメルガ(クルド人治安部隊)は滅びかけてる。

以上、背筋の寒くなるような10の体験談でした。

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