あなたの知る最も恐ろしい実話って何?

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6. ナティ・パテ洞窟

ナティ・パテ洞窟の話。
ある感謝祭に男数人が、家に集まっている家族をよそにケイビング(洞窟探検)をしに出向いたのが、このユタ州にある洞窟だった。
行ったメンバーの一人が医者で、確か奥さんが妊娠中だったか、出産したばかりとかだったと思う。
その人が洞窟の物凄く狭い部分に、逆さまになった状態で嵌まり込んでしまった。基本的に、そこはギリギリ通り抜けられる限界を想像するとこんな感じってくらいの狭い場所だ。

救助隊員がそこから助け出そうとしたが、無理だった。結局、その人は長時間逆さになっていた所為で亡くなった。
助け出そうと試みるだけでも救助隊員は命懸けだった為、遺体は回収されなかった。なので彼は未だにあの中にいる。ただ洞窟が封鎖されただけで終わった。

ナティ・パテ洞窟


(出典:imgur.com

2009年11月24日の午後8時、バージニア大学のメディカルスクールに通う学生だったジョン・エドワード・ジョーンズは、9人の友人と家族のメンバーで構成されたグループと共に、ソルトレイクシティから約89km、ユタ湖の西南に位置するナティ・パテ洞窟へ訪れていた。
感謝祭を数日後に控え、気のおけない者同士でケイビングを楽しむ予定だったのだが、一人で『バースカナル(産道)』と呼ばれる通路に挑戦した事から、その予定は大きく狂ってしまう。
下降するバースカナルの狭い箇所へ這い進んだジョーンズは、頭を下にした状態で通路の間に挟まり、ついには身動きの取れない状態に陥ったのである。

一緒にケイビングに来ていた弟のジョシュが最初にジョンを発見し、何とか救出を試みたが失敗。最終的に洞窟の外に救助を求めに行った。
しかし一旦救助隊が駆けつけても、ジョンが挟まっているのは洞窟の入り口から200メートル以上、地表からは40メートル近くも下の位置だった為、救助に必要な装置や人員を揃えるのに1時間以上掛かり、最初の救助隊員がジョンのもとへ到達した時には(ジョンが身動き出来なくなってから)3時間半が経過していた。

ユタ州の各所から集結した100人にも及ぶ人員が全力で救助にあたった。しかし状況は極めて厳しいものであった。
僅か25センチ~45センチのL字型の隙間に挟まっていたジョンは胸部を圧迫されて十分に呼吸する事が出来ず、70~80度の傾斜に頭を下にした状態でいた為に心臓に負担が掛かっていたのだ。

そうした一刻を争う過酷な状況の中、滑車とロープを使用してジョンを引っ張り出す作戦が行われ、最も狭い箇所からの移動に成功。
点滴や食事、水などが運ばれ、警察無線を通して妻エミリーと会話をするなど、ようやく一息つける時間が訪れた。

しかし、それも長くは続かなかった。

数時間後、唐突に滑車の装置が故障した事により、ロープで釣り上げられていたジョンは再び元の位置へ落ちてしまったのである。

逆さ状態で長時間負担が掛かり続けていた心臓はついに耐えきれず2009年11月25日夜、27時間の必死の救助活動もむなしくジョン・エドワード・ジョーンズは妊娠中の妻と1歳の娘を残し、息を引き取った。

救助隊員に掛かるリスクを考慮して遺体回収は断念。それ以前にも救助隊が出動する事態(いずれも大した負傷もなく救出されている)が幾度か発生していたナティ・パテ洞窟は、遺族と土地所有者の同意を得て、ジョンの死から1週間後に永久に閉鎖される事となった。

2016年にはこの件を元にした”The Last Descent “という映画が公開されている。

7. 町を変えた少女誘拐殺人事件

マサチューセッツにある地元の町では、放課後に子供たちだけで自転車で帰宅させたり、町に出掛けたりさせるのは滅多にない事だった。

1978年のある日、メアリー・ルー・アルーダという名前の女の子が自転車で帰宅中に誘拐された。男は後部座席にメアリーを囚えた車で、彼女の自宅の傍を通り過ぎた。その後、地元の州立森林公園で木に縛り付けられて惨殺された彼女の遺体が発見された。
警察は殺人犯を捕まえたものの、ある時点で霊能者に関与する捜査ミスを犯した所為で、有罪判決は覆された。
2016年にその犯人が死ぬ迄、当時その周辺にいた者ならば誰もが、何処で誰がどうやったのかなどの全ての詳細を知っていた程に、この事件は町に大きなショックを与えた。

当時の警察官の多くが現在80代に差し掛かってるが、未だにタイヤや車の型をはじめ犯人の全てを正確に覚えている。
今日に至っても、家が学校から5分の場所にあった私自身、子供の頃は徒歩で帰宅する事を許されていなかったし、子供だけで自転車に乗らせてはいけない、とうちの親戚は頑として譲らない。

地元では緊急時用に指紋、咬合痕の型、個人情報(身長、目の色、髪の色、国籍、その他)の登録が、中学での恒例伝統行事となっている。

アルーダ事件

1978年にマサチューセッツ州レイナムで起きた少女誘拐殺人事件。
被害者であるメアリー・ルー・アルーダ(当時15歳)は9月8日午後4時に自宅付近で自転車に乗っているところを目撃されたのを最後に行方不明となる。道路脇に放置された自転車はすぐに発見されたが、本人の姿はどこにもなかった。
3日間にわたる広範囲な捜索が行われ、警察は失踪時刻に見たという多数の目撃情報が寄せられた(黒のレーシングストライプが入ったグリーンの)車を運転していたと思われる人物のモンタージュ写真入りの手配書を公開した。

失踪から2ヶ月以上が経過した11月11日、フリータウン=フォール・リバー州立森林公園内で、木に縛り付けられたメアリー・ルー・アルーダの腐敗した遺体が発見された。検死で死因は紐状物による絞殺であり、死亡日時は失踪した当日である事が結論づけられた。

容疑者ジェイムズ・ケイターは9月19日に弁護士と妻を伴いレイナム警察に出頭。ケイターの顔貌は手配書のモンタージュとマッチしており、黒のレーシングストライプが入ったグリーンの1976年式オペルを所有。その右前輪には、自転車の発見現場に残されたタイヤ痕と同じく異常摩耗があった。
更に、ケイターは1968年にアンドーバーで少女誘拐暴行事件を起こしており、当時は保護観察の身であった事も判明した。

1979年にケイターには第一級殺人で有罪判決が下り、仮釈放なしの終身刑を宣告されたが、マサチューセッツ州最高裁判所は評決を破棄。その後1986年に再び有罪判決を受けるがこの評決も破棄され、1992年の裁判に至っては審理無効に終わる。漸く有罪判決が確定したのは1996年。実に4度目の裁判であった。
2016年にケイターは獄中で死亡している。

ブリッジウォーター・トライアングル
レイナムはミステリースポットとして有名なブリッジウォーター・トライアングルの中に位置しており、フリータウン=フォール・リバー州立森林公園では数々の怪奇超常現象が報告されている。
UFOやビッグフットの目撃情報などから、中にはカルトによる生贄の儀式やサタニストによる殺人など不穏なものも存在する。

8. 謎の死

モーリー・トンプソンの死。

自分の故郷の町で、第二次大戦中に一人の少女が忽然と姿を消し、10日後に給水塔の中で溺死しているのが見つかった。町の人間は皆、徐々に分解して行く彼女を10日間に渡って飲んでいたわけだ。

彼女の死は自殺と判断された。しかし問題は、塔の横についている固定梯子に登る為には、梯子がもう一台必要だった事だ。自殺であれば塔の足元には梯子が残されていた筈だが、現場にそのような証拠はなかった。

噂ではプロテスタントと恋に落ちた事でカトリックの司祭に殺されたと言われているが、今となっては誰にも分からない。

それにしたって、ぞっとする死に方だけど。


(出典:pinterest.jp

メアリーバラ給水塔での謎の死
オーストラリアのクイーンズランド州メアリーバラで24歳のモリー・トンプソンが行方不明になったのは、第二次世界大戦中の1942年8月の事だった。

8月11日の早朝にバザールストリートを緑色のパジャマで歩いている所を目撃されたのを最後に、突如姿を消した。

大掛かりな捜索が行われたが何の手がかりも得られないまま、失踪から10日が経過した21日、給水塔の中で水に浮かんだモリーの遺体が発見される。
検死の末、死因は溺死による自殺であり不審な点は見あたらず、と結論づけられた。

しかし、大きな謎が残った。件のメアリーバラ給水塔には上部に固定された梯子が作り付けられていたものの、そこへ到達するには別のポータブル型の梯子を用意する必要があった。だが、遺体発見時にその梯子が設置されていた形跡がなかったのだ。

また、遺体発見までにこの給水塔は3度に渡って捜索が行われていた事もあり、モリーの死は自殺ではなく何者かによって殺されたのではないかという疑いの目を向けられる事となった。

彼女がどうやって梯子なしで給水塔の天辺まで上ったのか、死ぬまでの間どういう行動を取っていたのかは、今日に至るまで謎のままである。

9. デュエンデ

焚き火を囲んで怪談話をしているところで、メキシコの叔母さんに纏わるこの話を友達が教えてくれた。

その叔母さんは子供(6歳か7歳だったと思う)の頃、山岳近くの牧場に家族で住んでいた。ある日外で遊んでいた彼女は、いつの間にか迷子になっていた。
地域の人達が大勢駆けつけ、皆で名前を呼びかけて彼女を探したが、何一つ見つからなかった。
それから確か1週間程が過ぎたと言ってただろうか…家族は希望を失い始めていた。

ところがそこへ突然、薄汚れ、口を縫い閉じられた状態の彼女が林の中から現れた。家族はすぐさま病院へ連れて行った。

幼い少女の伝えた話はこうだった――林で彷徨っていると『デュエンデ(精霊)』達がやって来て、一緒に遊ぼうと誘われたので、彼らと森の中へ入って行った。お腹が減って来ても、一緒にいなきゃいけないと言われたからその通りにした。でも、それから辺りが暗くなり始めたので、最終的に帰り道を探し当てた、と。
どうも彼女は、自分が失踪していたのが1週間ではなく、たったの2時間だけだと思っていたようだった。

しかしその後、少女はまるで別人のようになり、とても控えめで口数の少ない女性に成長したらしい。今も彼女には口を縫い閉じられたところが傷跡になって残っていると、友達は言っていた。

だからあの場で聞いた、いかにデュエンデが100%本物であるかという話の数々、中にはメキシコにいる親戚を訪ねた時に目撃したという人もいて、それはそれで確かに怖い。

しかしこの話の何が特別に恐ろしいかといえば、7歳の女の子が家族経営の牧場から連れ去られ、森の中で1週間も人質として拘束された挙げ句、耐える為についには自分の身に何が起きたかをブロックアウトして、新たに話を作り上げてしまう程の激しい責め苦を受けたというところだ。それに、誘拐して口を縫い閉じた連中は、おそらく彼女は家に帰り着く前に死ぬと考えていただろう事も。

さまざまな話が語られていましたが今回まとめた中には、冤罪など色々な疑惑のあるような事件・事故が多くて、そういう意味でもゾッとしました。
特にチノ・ヒルズ惨殺事件については日本ではあまり知られていませんが、ドキュメンタリーも多数制作されており、見れば見るほど警察への疑惑が積み上がって行くヤバさ。
最後にそのチノ・ヒルズ事件のドキュメンタリーをもうひとつ。
冤罪か否かはさておき、証拠は全て調べ尽くすのが当然なのではないかと思うので、是非もうそこは疑いの余地のないくらいに徹底的に調べ直して欲しいものです。とはいえ、既にその証拠事態が改ざんされている可能性が濃厚なようですが……

【動画】

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